国宝になれる人間の凄味

吉田修一さんの『国宝』を読み終えました。上下巻ある長編小説です。

ネタバレになるのであまり書けませんが、圧巻のラストです!

歌舞伎の壮大さ厳粛さを痛感してしまいます。

歌舞伎役者というと梨園と言って生まれも育ちも特殊だったりします。厳しい境遇に生まれ育ったとも言えるかもしれません。不遇な運命をときには身に受け入れなければならないときがあるのかもしれません。ときには嫌気がさすことも若い頃はあるだろと予測できます。

そんな命懸けで舞台に立つ歌舞伎役者の姿は、観るものにはとても勇ましく感じられるものです。舞台に立ち続けることによって、どんどん人間としての円熟味も増していきます。

これまで築き上げられてきた伝統のなかにスクッと入り込んでいく、いや溶け込んでいくと表現した方が適切かもしれません。伝統に溶け込んだ人間、

もうそれは、歴史の一部であり、仏のように悟りを開くような境地かもしれません。いわゆる”人間国宝”とはそういうもものような気がします。

しかし、そこまでいくまでには、とにかく淡々と毎日、舞台に立ち続けなければならないのです。なんという気が遠くなりそうな年月だろかと、目眩のようなものも感じてしまいます。しかし、芸を極めることは、そんな自分を律し、舞台に情熱を燃やし続け、苦しいこと、哀しいこと、悔しくなることをすべて乗り越えた先の日々の積み重ねからしか成し遂げられない偉業なのです。崇敬の念を感じ得ません。そんな物語と光を浴びる舞台役者の悲哀に涙ぐみそうになります。

繊細な人間描写も秀逸な小説です。